日本ニュースより、大日本帝国陸軍の高射砲及び海軍の陸揚げされた高角砲の射撃・運用シーンを抜粋しました。各シーンは日本ニュースの号数順に並んでます。映像から、八八式7.5cm野戦高射砲、九九式八糎高射砲、八九式十二糎七高角砲(12.7センチ高角砲)が確認できます。最後の連続して爆弾が爆発するシーンは硫黄島の映像ですが、映画とよく似ていて妙に感心したので入れておきました。
P.S.空薬莢て一つ一つ掃除するんだ…モデルガンみたいだな。
八八式7.5cm野戦高射砲は性能不十分な十一年式七糎半野戦高射砲の後継として、1928年(昭和3年)に八八式高射照準具とともに制式制定された。基本的な構造は十一年式七糎半野戦高射砲をほぼ踏襲しているが、初速を初め性能は大幅に向上し、世界的にも見ても当時標準的な性能を持つ75mm級高射砲となっている。ただ、機動力を重視する帝国陸軍の火砲には通例のことでもあるが、運行重量を減らすために大幅に軽量化されたため全体的に作りが華奢であり、耐久性には劣る砲となってしまっていた。これは本砲が陣地高射砲ではなく、特に機動力が求められる野戦高射砲であることも一因である。そのため本砲は極めて軽量であり、迅速な移動と放列展開が可能といった運用面において優れた長所を持つ。牽引は九六式高射砲牽引車・九四式六輪自動貨車などの牽引車・4t自動貨車によって行い、牽引速度は常用12~14km/h、最大18km/hである。
1930年代以降の陸軍の飛行場や戦術上要地には必ずと言っていいほど本砲が配備されており、こうした定点防空では事前に標定を済ませて待伏せ的な集中射撃を用いたこと、また敵機の侵入高度もあまり高くなかったこともあり、意外に戦果を挙げている。しかし、このような前線での野戦防空等では短時間の射撃のためあまり問題にならなかったようだが、前述のように耐久性が低いため都市防空など戦略上要地において連続射撃を必要とする戦闘では、駐退機が破損してしまうことが多かった。高初速の高射砲のため装甲貫徹力は高く、破甲榴弾も一応配備されていたためノモンハン事件や硫黄島の戦い、沖縄戦では対戦車砲としても転用され、日本軍が対応に苦慮していたアメリカ軍のM4中戦車に対しても戦果を挙げた。(wikiより抜粋)
九九式八糎高射砲は1941年(昭和16年)に準正式化されたクルップ製8.8 cm SK C/30のライセンスコピー品である。国産化に向けての改良としては、原型や試作時はいわゆる二重構造の焼嵌式砲身を使用していたが、量産化に当たり当時国内でもほぼ定着していた自己緊縮式の単肉砲身に変更された。照準具は運用上の利便性から国産の旧来のものに変更され、また原型砲や初期の国産砲には大型の防楯が装備されていたが、操作上邪魔であり資材節約のため後に撤去されている。名称が「野戦高射砲」ではなく「高射砲」であることからもわかるように陣地高射砲であり、運搬車やそれを利用した野戦砲床機材なども独自に開発されたが原則としてコンクリートや木材で組まれた固定砲床を必要とし迅速な陣地変換はできなかった。
構造が簡明で製作にも技術的にあまり高度なものを必要としなかったため、準制式ではあったが1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)にかけて500門以上、一説には1000門近くが生産され、八八式七糎半野戦高射砲に次ぐ生産数を達成し本土防空戦では高射砲部隊の主力を担った。