高橋聡文、通称「アッキー」は、福井県高浜町出身の元プロ野球投手、少年野球指導者。1983年5月29日生まれ。1903年創業の老舗和菓子屋「大次郎」の家系に生まれる。
ユニークな経歴でプロリーグ入りを果たした高橋は、野球界に勇気を与え続けている。
高橋の野球人生は、第72回選抜高等学校野球大会に出場した富山県立高岡第一高等学校から始まった。主に投手としてプレーしていたが、練習試合で打撃を披露したのが印象的だった。
2001年のNPBドラフト会議で中日ドラゴンズに投手として8巡目で指名された。富山県の高校出身選手としては8年ぶりのドラフト指名を受けて入団した。
選手時代は速球を主体にしたダイナミックな投球フォームで、太りやすい体質から体調管理には細心の注意を払っていた。また、太りやすい体質のため、体調管理には細心の注意を払っていた。
「本当に気持ちのスイッチを入れるのは、コーチから“行くよ”と言われてからですね。まだ自分の出番じゃなさそうなときは、体の準備はしても気持ちは入れないようにしています。オン、オフの切り替えがヘタなのかもしれないけど、1度ガッと気持ちを入れてしまうと、もう1度集中力をマックスまで持っていくのが難しい。だから、ブルペンで“行くぞ”と言われてからの2、3球で、一気にスイッチを入れるようにしています」とインタビューで答えている。
初期のキャリア
中日での野球人生の初期、高橋は苗字の表記に難があり、スコアボードや報告書の表記が異なることがあった。高橋光信が同じチームに在籍していたからだ。
当初はケガに苦しみ、高校時代は野手だったこともあって打者への転向も考えた。しかし、落合博満監督の指導のもと、試合に出場し、投手としての実力を見せつけ、評価されるようになった。
2004年、西武との日本シリーズで注目を集めた。その後のシーズンも公式戦に登板し続けたが、2005年シーズン終盤は疲労の影響もあって調子を落とした。
2007年には投手として期待される活躍を見せたが、制球難に苦しみベンチ降格。
中日時代の2009年、高橋は私生活でも大きな一歩を踏み出し、結婚した。4年前から交際していた冨田静香と、春季キャンプが始まる直前の1月下旬に婚姻届を提出し、2009年2月に正式に結ばれた。
結婚が高橋を良い方向に変えたのかもしれない。その後、彼は回復し、チームの勝利の立役者となり、2010年のセ・リーグ優勝に貢献した。
しかし、2011年には左肩痛に悩まされ、パフォーマンスに影響を及ぼすなど、まだまだ多くの困難に直面した。結局、高橋は2015年に国内フリーエージェント(FA)権を行使し、阪神タイガースへの移籍交渉に入った。
高橋は2015年11月から1億5000万円の3年契約で阪神タイガースに入団。翌シーズンからはチームの左腕リリーフのレギュラーとして活躍し、チームの勝利に貢献した。しかし、度重なる左肩の故障により、幾度かの挫折を味わい、最終的には2019年9月9日に現役を引退し、18年間のプロ野球人生に幕を閉じた。
野球の後の人生
正式な引退発表から数カ月後の2019年12月、高橋は地元に戻り、地域への恩返しとして地元の小学生を対象に野球教室を開いた。また、オンライン野球教室に協力し、YouTuberにもなった。
2020年1月22日、高橋はYouTubeチャンネル “Fumi Chubu “を開設した。最初の動画では、チャンネル開設の決意を興奮気味に発表し、プロ野球選手としての経験に基づく見識を披露。現役選手たちに、日々の練習や試合で勝利を優先するよう呼びかけた。
また、自身の野球人生に関する質問に答えたり、コメント欄で視聴者に自身の経験を共有するよう呼びかけるなど、視聴者との交流を図り、チャンネル登録者から熱い反応を得た。高橋は、野球のルーティンや生活の雑学を紹介する21本の動画で、これまでに10.4Kの登録者を獲得している。