九六式陸攻の開発が重すぎる、資源が全然回復しない
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日本ニュースより、大日本帝国海軍で使用されていた96式陸上攻撃機、連合軍側コードネーム「Nell」の映像を抜粋しました。 九六式艦上戦闘機と並んで、日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体である。当時としては高い航続性能を有し、支那事変から太平洋戦争の初期まで第一線で活躍した。なお海軍の命名法によって急降下爆撃ができない本機は爆撃機ではなく攻撃機とされた。後継機の一式陸上攻撃機とともに通称「中攻」と呼ばれた。 機体重量の半分の搭載量を誇る画期的な航空機だった反面、胴体をスマートな魚雷型にしたため機内に爆弾倉を設けることができず、爆弾や魚雷は胴体下に吊り下げられて空気抵抗を生じた。また、爆撃機特有の機首風防を廃しているため機首銃座は無く、特に世界的に1930年代後半以降必須となっていた防弾装備も皆無であるなど、軍用機(爆撃機)としては未だ発展途上の機体であった。 日中戦争では航続性能を生かして、設計本来の目的ではない、対地爆撃に多用された。まず台湾や九州の基地を発進し、東シナ海を越え、第二次上海事変で孤立する現地部隊を支援する爆撃を行い、帰還した。これは渡洋爆撃として国内に大きく宣伝され名を揚げた一方で敵戦闘機による多大な被害を受けた。その後、基地を中国本土に進め、中国奥地の漢口や重慶等の都市を爆撃した。渡洋爆撃初期から敵地上空で敵戦闘機による損害が続出し、長距離護衛戦闘機の必要性が真剣に検討され、十三試双発陸上戦闘機、後の月光の誕生につながった。 太平洋戦争では、1941年12月8日の開戦当日から連日 台湾を発進してフィリピンのアメリカ軍飛行場を爆撃し、短期間にアメリカの航空戦力を壊滅させた。さらに12月10日のマレー沖海戦では、一式陸上攻撃機と協同でイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈し、戦艦に対する航空優位を印象付けた。(WIKIより抜粋)